4月30日 連休の前半、原町区萱浜へ行ってきました。
ルートは、この石ポロ坂トンネルを通るルートです。
メンバーは、何度か現場に直接入って作業をしていますので段取りは任せました。
この潰れたフィガロが現場の目印・・・
自衛隊のみなさんが一列に並んで棒をさしています。
遺体の捜索です。
白く飛んでますが、海が見える場所でした。
本当は、こんな景色ではない。
お邪魔したOさん宅の周辺。
当日の作業は、家の前・裏の泥・木材・瓦礫の撤去でした。
家の前もすごいですが、家の裏がひどい。
湿って海の砂、杉の木が層になっています。
8:00~15:00まで 一番バテていたのは自分でしたが
最後区切りいいところまで作業が出来ました。
当日の作業は、家の前・裏の泥・木材・瓦礫の撤去でした。
家の前もすごいですが、家の裏がひどい。
湿って海の砂、杉の木が層になっています。
8:00~15:00まで 一番バテていたのは自分でしたが
最後区切りいいところまで作業が出来ました。
Oさんの納屋の前。泥を撤去する前の状態。
10cm~15cmくらの層になってます。
瓦礫の山。ほとんど、Oさんの自宅の物ではないそうです。
おそらくここから先の海岸までの住宅から流れてきたんでしょう。
畳で道を作らないと、効率が落ちるのです。
瓦礫の中に見つかったバスケットボール。
GWに入る前の現場でしたが、
これから友達が集まって遊ぶところだったのでしょう。
おそらくこのお米はOさんの収穫したものかと思います。
しばらく米も畑もできないということで、
『農家はやることがなくなる。抜け殻になってしまう』
と嘆いていました。
生活の臭いがします。
俺も小さい息子がいます。
こういったモノが泥まみれになって積まれていると、
胸が痛みます。
農家のみなさんにとって、トラクターは大事な商売道具です。
津波は、すべてを飲み込みました。
人命・家・車・その土地で生活しているという事実
あたり一面、爆撃にあったような状態です。
原発の問題さえなければ、もっと早く、ひとりでも多くの人が救われただろうし
もっと早く、瓦礫の撤去がすすんだんじゃないだろうか。
翌日からは、やっと南相馬市ボランティアセンターから応援が入れたそうです。
正直対応が遅いと思う。
それまでボランティアセンターに登録しても南相馬市原町区内に
アサインされないことが明確だったので、友人たちと直接現場へ行った次第です。
もちろん自己責任での行動となりますが
キャパシティ以上の人数を現場に配備されるより
別の現場で家族二人で作業しているところをお手伝いできたほうが
お互いに取ってよいことだと思う。
連休初頭のボランティア活動となりましたが
しばらくは南相馬市へ行けません。
自分の本来やるべきことを見つめ直します。
体力といろいろな余力ができたら、また地元に帰ります。
翌日からは、やっと南相馬市ボランティアセンターから応援が入れたそうです。
正直対応が遅いと思う。
それまでボランティアセンターに登録しても南相馬市原町区内に
アサインされないことが明確だったので、友人たちと直接現場へ行った次第です。
もちろん自己責任での行動となりますが
キャパシティ以上の人数を現場に配備されるより
別の現場で家族二人で作業しているところをお手伝いできたほうが
お互いに取ってよいことだと思う。
連休初頭のボランティア活動となりましたが
しばらくは南相馬市へ行けません。
自分の本来やるべきことを見つめ直します。
体力といろいろな余力ができたら、また地元に帰ります。
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